呼気を繰り返す度に黒が臓腑にすら滲みる樣で、
胎の据わらぬ心地に為る。
格好を崩した其の御行、…――名を小股潜りの又市と謂う
小股潜りとは甘言を弄して相手を言い包める、と謂う今で言う詐欺師の様相を持つ。
余り良い言葉でも無いだろう。勿論、男は小悪党で在る。
表向きには札売りを生業と為ている。
又市は滲む暑さに一笑一顰を落下させながら、天壌を仰いだ。
夕闇は何処か遠くへ消えた様だつた。
梁故も滲む夜は、茫と為た黒が浮遊するだけである。
手元の星は、僅かな蝋燭の幽しさ。
蝋燭が隙間風に揺れる度、背の翳が一際濃く為り、揺れている。
横目に流した蝋燭の。
其の向こう側で、涼やかな貌色を歪めて見せた端麗たる貌の男がいた。
涼やかな切れ長の、眸を持つ。女形すら張れそうな、色男振りだ。
名を、林蔵、といい、此の男も亦、靄船の林蔵と呼ばれる、小悪党の一人だ。
薄い、紅を曳いたよな口吻を林蔵は扇で隠した。
其れに舌を撃つたのは又市で在った。
ふふ、と零された笑みは、又市の機嫌を損なう、と男は良く識っているのに。
「 ンなもん、手前で如何にかしやがれってンだよ。 」
「 冷たいなァ。杯交わした義兄弟の仲やないかい。
如何にかってなァ、そう旨くいかへんから頼んどるんやないか。
なァ、頼むわ、又。 ―――助(す)けてくれ。」
―― … チ、 鋭く撃たれた舌撃ちが、又市の口腔内に消える。
林蔵は、又市の様相なぞ、気に為た素振も無く、助かるわァ、と赤い唇を緩ませた。
「 実はなァ、―――女が殺されてん。」
至極、かろい声だった。然し乍、林蔵の目眸は硬質に歪む。
「 手前は、本ッ当に女に弱ェなァ。 」
故にこそ、又市は吐き出したのだ。
勿論、投げ出した足を、胡坐に置き換える事を忘れない。
一応の聴く耳を持たせる体裁を整える。
目の前には、冷えた猪口が汗を掻き乍、転がっていた。
「 うっさいねん。で、…下手人は解っとるんや。」
「 ああ?じゃあ何かぃ、殺しの証拠でも見つけろってのかよ? 」
「 最期まで聞きなはれ。…実はなァ、その下手人が、壬生浪やねん。 」
「 みぶろぉ?!!ったって、御前、」
其処で、漸く又市は双眸を細めた。
壬生浪、京では有名な男達だ。無論、悪名で、なのだが。
「 捕り物の最中に遊女が殺されたって、そうなっとんねや。」
「 なら、爾――娼に運が無かったってだけじゃねェかよ。」
嘆息。吐出した呼気は一体どちらの物で在ったのか。
掌に弄ばれる猪口が、かちり、と硬質に啼く。
「 ――― … その娼なァ、胎ァ掻っ捌かれて、
中に居った子供、引き摺り出されとんのやで。
…、こら尋常な殺しじゃあらへんって。
爾の娼は損しかしとらんのやぞ。 わし等の出番や無いか。
御公儀を笠に着て、どえらい面ァして、
のさばっとる奴に復讐したいっていっとる訳じゃないねん。
唯、一矢報いたいってだけやねん。なァ、又ァ 」
「 … たくよォ。一矢報いたいも、復讐したいも同じ事じゃねェかよ。
御涙頂戴の人情劇じゃァ、無ェンだぜ。 」
「 しゃあ無いねん。袖触れ合うも何とやら。
実はな、爾の娼の父御に直接頼まれとるんや。
娘が膾にされたってなァ、噂を聞いて、 … 立ち上がれもしない病の躰おして
京迄、這いずって来とんねん。
まァ、 … 京に入った時には、もう絞り粕みたいになってしもて…、
末期の水迄取ったんやから、ちぃと目覚めが悪いやろ。」
爾の父親に握らされた情け無の金やで。
林蔵は、又市の膝前に薄汚れた巾着を投げた。
ちゃり、と小さな音を立てた其れは、娘を喪った父親の、嘆きが詰まっている。
余分な妄執が絡みつくやうで、其れから眼眸を外した又市は、
膝の上に肘を突き、みたび、舌を撃つた。
嗚、と零す聲は、微かな苦み。
「 糞ったれが、手前は碌な仕事も廻しやがらねェ。
… ―――― 俺ァなァ、侍なんざ、大っ嫌ェなんだよ。」
「 そうか、遣ってくれるか !! すまんなァ、又 」
わし等は、ちと動き辛くてなァ、
のんびりと返された聲に、安堵が添えられた事に気付き、又市は大きく、息を衝いた。
黒が段々と濃く為る刻限で在る。
白い筋張る指と、細い筋張る指が握る、
猪口同士が硬質な音を響かせ、ぶつかり合った。
―――――其れが 小悪党同士の密約で在った。
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さァ、 鬼退治と洒落込もうか